2018年08月13日

光の柱のある神社

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(※写真は伊豆山神社の本宮。記事の内容とは直接関係ありません。)

ここ数年、"パワースポット"なるものが流行りだしたせいでしょうか。人々のあいだでは神社巡りがことのほか盛んになっております。
そもそも神社というのは日本独特のものであり、その起源は山や岩など、神が宿るといわれるその地の自然を祭ったことからだと考えられています。
そして日本全国の大小の神社を数えると、10万社以上もの神社があるのだそうですが、現存する最古の神社は奈良県にある大神神社ということです。大神神社は、古事記にある大国主神が大和の国づくりをしている際に、力を貸してもらったという、大物主神を祭った神社なのだそうです。

さて、そこでちょっと気になるのは、本当に神社というところには、何かパワーのようなものが実際に宿っているのかな?ということです。古代から伝わる聖域を、むやみに疑うわけではありませんが、見えないものを感じる能力を失っている現代人の私たちとしては、その真相を知りたいのも正直なところですよね。

そんな疑問を密かに抱いていたところ、整合性会議で神社の話題になったので、その内容をこちらにシェアしたいと思います。

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メリオン:先日、ある神社に行きましたが、そこにはどこを探しても、光の柱がありませんでした。しかし、出雲大社(出雲大社の東京分祀)は、六本木の繁華街にあるにもかかわらず、本殿の前に立ったとき、その柱の太さに圧倒されました。

Y氏:光の柱とは、宮司さんの光の塔の質が反映されているのでしょうか?柱の太さは、スィオニの魂の密度と仕事の質によって決まるのでしょうか?

メリオン:はい、そうだと言えます。出雲大社は、集めた光の気が巨大なものになったとも言えるし、もともと地の気が巨大だったから社を立てたとも言えます。そしてその宮司さんの仕事が、それをそのまま維持できていて、あるいは、ますます大きくしているのかもしれませんね。集めた気は、扱う者によって、無くなってしまうこともありますが、地が引き受けた気は地の気としていつまでもあり続けます。"山の白い家"(トゥファラに出てくるヴィッツイの住む家)はもともとあった地の気が美しい空間を作っていました。そしてわたしが、更に気を集めたのです。そこに社を建てるように星の人から言われましたが、わたしは社は建てずに、美しい気だけをその地に残してそこを離れることにしたのです。

――なるほど。すると今ある神社は、やはりやみくもに社を建てたわけではなく、その地に光の気が集まっていたからか、あるいはその地に光を集めた何か(誰か)がいたからと考えていいのですね。ただし、集めた気の場合は、その後の扱い方によっては失われている可能性もあると…。

R氏:では、美しい気の立つ場所に社を建てたということですが、神社というのは、宇宙との扉だと考えていいのでしょうか?あるとき、寂れた神社の奥に立つ立派な木が、宇宙とのアンテナのように思えたことがあったのです。「神社なのに宇宙」と感じた自分を、不思議に思っていたのですが…。

メリオン:そうだと思いますよ。"宇宙"というと、あまりに遠すぎる感じがするのでしょうね。だから"神"という表現になったのかもしれないけど、わたしは逆に、宇宙に立っているので、神ではなんだか小さいと感じてしまうし、間違うと個人的な感じにもなってしまうし…。"オオクニヌシの命"でいいの?って思うけど、その方がなんだカワイイし、誰もが安心するんでしょうね。わたしとしては、もうそろそろ"宇宙"でいいじゃない?怖くないよ!といいたいけれどね。

R氏:なるほど!カワイイんですか!そのカワイさはまだ私にはわからないですけど。でもやっと腑に落ちました。これからは、自分が感じたままを信じようと思います。

メリオン:その「なぜ?なぜ?」が、宇宙の扉を開けますよ!アロンさんは人の肌の横も宇宙だよ、吸う空気も宇宙だよ!といっています。"宇宙"というネーミングが、敷居を高く感じさせてるかもしれないですね。新しい言葉を見つけるのも仕事のひとつですよ!宇宙でも神でもないもの考えてみたらどうかな。

R氏:多くの地球人が思う宇宙って、結局、地球産神様の高さまでなんですね。

メリオン:その通りね。宇宙の捉え方はそれぞれで、その魂の写し鏡ともいえます。その領域にしか認識が持てないのね、だから、神になったり宇宙であったりと、差があるんですね。みんなの意識がお揃いになるのは容易ではないですね。
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(写真/出雲大社にある大国主命ブロンズ像〜Wikipediaより)

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というわけで、この日の話は、神社から『神』にまで発展していきました。
たしかに、神社の宮司さんのお話を聞いたりすると「何だか宇宙的な話をしているなあ」と思ったりすることもままあるのですが、メリオンさんの言う通り、"宇宙"じゃあまりに遠すぎて実感が湧かないので、"〇〇の神様"という表現で可愛らしくして、人々に身近に感じてもらおうとしたのかもしれませんね。
ん?すると宮司さんらは、本当のところ、宇宙についてもっとリアルな事実を知っているのかな?今度、宮司さんにお話を伺う機会があったら、「怖がらないので、宇宙について本当のことを教えて下さい」とでも聞いてみようかな…な〜んて思ったりしました。

ところで、『神』という概念は世界各地にありますが、その捉え方や意味あいは、それぞれの地域の文化や宗教と相まって微妙に異なるものです。それは「ゴッド=God」であったり、「デウス=Deus」であったり、「アッラー=Allah」と呼ばれたり、あるいは「タオ」や「シヴァ神」と呼ばれたり…。

また、古代においてはどの地域にも、この世界の創造にまつわる神話のようなものが必ず存在していましたが、物質的なものしか理解できなくなってしまった現代に至っては、『神』については、「信じる」か「信じない」かという、非常に曖昧で空虚な存在として語られるようになってしまいました。結局、私たち人間は、『神』も『宇宙』も、どう理解したらよいか、どう扱ったらよいか、未だに分かっていないということのようです。

しかしそもそも、『神』という概念とは、「この世界を創造したのは誰か(何か)?」という、人々の素朴な疑問に答えるものであったというのが、人類の共通した思いだったのかもしれません。もちろん、人間にとっての「この世界」というのは、地球という小さな小さな惑星の、限られた世界のことなのですが。

けれど『トゥファラ』という新世界に触れた私たちは、「この世界」とは、もっともっと、広い宇宙に広がっているんだなと、少しずつ、ベールの向こうを見ようとするようになりました。やがて私たち人類も、信じる「神」ではなく、「宇宙」の真実を、きっと理解するようになる日が来るのでしょう。ただし、その歩みは、人それぞれのペースがあるのかもしれません。メリオンさんの言うように、みんなが揃うのは容易ではないかもしれないけれど、スィオニを目指す私たちは、少しだけ先に進む努力をして、灯台のような役目が担えることが、ひとつの大きな目標でもあるのです。


(文/編集部)
posted by yamanoshiroiie at 07:00| ラウンジ(談話室)